パスタをゆでろ

一方的に話をしたい猫背からの打診

職業インタビュー

「あの、突然ですがインタビューをお願いできないでしょうか…」
彼女は今しがた購入した村上春樹アフターダークを抱きしめながら、おどおどと言った。
しけてると言ってもいいこの店で彼女は昨日も一冊買っていた。昨日は確か、乙一の文庫本だった。
彼女の顔をいまいちど見ると
「わたしはこのお店が好きでその、将来本屋さんになりたくて、今度学校の課題で職業インタビューをしなくてはいけなくて、もしよかったら…」
よく思い出すと彼女の声を聞くのはこれが初めてかもしれない。いつも会釈だけの高校生。こちらを遠慮がちに見つめる彼女の顔から視線を逸らし
「…ご都合はいつがよろしいですか?」と在庫確認に答えるかのようにあくまで機械的に答えた。
女子高生はわたしがレジをするだけの置物じゃなかったことに安堵したように微笑みをこぼした。短くしただけの洒落っ気のないショートカットが揺れた。
 
翌週の店休日に彼女は来た。長めのスカート、寝癖を撫で付けたような髪、ぎこちない敬語を装備した女子高生。女子高生と言っても彼女は自分が女子高生というレッテルをはられてることに気づいていないような幼い顔をしていた。制服が中学生のであれば中学生で通っただろう。
応接間に通したところ、まるで出来の悪いアニメみたいな動きをするので思わず笑ってしまった。現実に馴染んでいない、あどけない若者。
出したアイスコーヒーに恐縮はすれどなかなか手をつけなかった。
途中で「コーヒーはお嫌いでしたか?」と尋ねると「いいえ、そんなことは…」とおぼつかない手つきでガムシロップを恐ろしい量入れたあと一気飲みをしていた。後から考えるとアイスコーヒーなんて飲み慣れていなくシロップの加減なんて知らなかったんだろう。ひどく甘くそして苦いものを飲んだ後も表情を変えず彼女は質問を続けた。
日々の業務や仕事のやり甲斐、学生のうちにやっておくべきことなど一通りを答え、最後にオススメの本を聞かれた。「トルストイの民話」と「戦争と平和」と答えた。今の彼女にはおそらく難しいだろうし、読んだとしてもガムシロップたっぷりのアイスコーヒーを一気飲みするように感じるかもしれない。
 
 
 
 
「たくさんの方法論を学んでください。学生のうちはある程度結果が見えることをやるといいと思います。たくさんの方法論、つまり道具を手に入れて将来役立ててください。」
大学生になったとき、自然と思い出した。これは高校1年生の時に言われた言葉だ。
いつの間にか自分は大学生になっていた。漠然と大学生になっていた。せまい世界の田舎で優等生扱いだったから大学に行かなくてはならなかったのだった。大学に目的なんかはなくて、臆病な自尊心ってやつがわたしを東京まで連れてきたのだ。このままではおそらく何者にもなれないだろう。そもそも何者かになりたいのだろうか、わたしは。
受験が終わり真新しい街に放り出された自分には拠り所が必要だった。そんな時に職業インタビューで本屋の店主に言われたことを思い出したのだった。
大学に入ってからは手当たり次第にいろんなことをやった。全てを完璧にやり遂げることはもちろん無理で、でも自分は方法論を身につけるのだと言い聞かせた。方法論だから失敗しても良かった。
その傍ら、できるだけ本を読んだ。本を読まないと何者にもなれないような気がした。田舎にはない安いコーヒーチェーン店で読むのが好きだった。お金がないから1番安いアイスコーヒーにガムシロップをドバドバいれて空腹をごまかしながら読んだ。何故かその味は最初から懐かしかった。
闇雲に読んでいくうちに、読めなかったミステリーや純文学も読めるようになっていた。いつか読みたいと思ってた本も読めるようになったかもしれない。
 
 
 
 
 
常連のレジをしていると、若い女性が入店してきた。彼女は何を買いにきたのだろうか、平日の真昼間にこんな本屋で。うちにはオタク向けの雑誌に加えて、野鳥や仏像といったニッチな本しか置いていない。10年くらい前は小説、児童書、専門書に加えていろんな文庫や漫画を置いていたけれど、今は置いてない。昨今のネット販売や電子書籍のあおりをうけて今までと変わらない形での経営は厳しかった。町内に5つあった本屋はもううちと大型店だけになっていた。
彼女はせまい店内をぐるっと一周をしてとある箇所でとまった。品揃えの偏りに戸惑っているようだ。しかし少しすると驚いたことに本をもってレジにきた。伏し目がちに2冊の文庫をレジに置いた。「トルストイの民話」に「戦争と平和(1)」。うちにある数少ない文庫の中の2冊だ。会計をすると彼女は軽い会釈をした。彼女はもうこのお店には来ないんだろう。
退店する後ろ姿で飾り気のないショートカットが揺れていた。
 
おしまい